脱原発を表明した市政の継続を

2012/5/19  西尾真人

和泉本町に住んでいる西尾と言います。

市の原発に対する対応について、述べます。

 昨日55日は記念すべき日となりました。日本の原子力発電所が全て停止しました。無用な放射能被害を受ける可能性を断ち切ったものです。子どもたちへの確実なプレゼントとするために、再稼働を許さず、廃炉にしていかねばなりません。

私は、昨年の福島第一原発のメルトダウンという大事故を受けて、狛江市でも脱原発を目指す活動をするために、今年の2月に「狛江の放射能を測る会」を立ち上げました。

矢野市長は昨年6月に、脱原発を表明し、先月28日に結成された「脱原発をめざす首長会議」に東京の自治体首長として世田谷区の保坂さん・武蔵野市の邑上さんとともに名を連ねました。この首長会は、安全な社会を実現するためには原発をなくし、再生可能エネルギーの推進に力を入れていくこと、今年の夏に決まる国のエネルギー基本計画に「原発ゼロ」を盛り込むよう求めることなどを決議しました。全国でも64市町村長、元職を合わせて70名でスタートしました。狛江市民のための市民派市政は狛江独自の行政課題だけでなく、こうした全国的な課題に対しても、積極的に挑戦していることに一市民として誇りを感じています。

福島第一原発の事故は、12カ月経った今も16万人の方が故郷を追われ、避難生活を送っています。帰れるのか帰れないのか、それすら明確ではありません。農作物や魚介類の汚染に農家も漁業者も、そして消費者も不安を抱いて生活しています。こうした状態が数年は確実に続くと思われます。奪われた故郷は数10年~100年単位で考えることになるでしょう。

原発の状態も政府の「収束宣言」を信じる人は一人もいないと思います。建屋ごと10万トンの汚染水にまみれ、やむを得ずそれを循環させて冷却水にするという苦肉の策を考えましたが、日常的に故障や事故が起こり、その都度海水を汚染しています。地下水を汚染し、一体それがどうなっているのかさえ不明です。建屋を囲うことも出来ず、今も大気中に放射能を放出し続けています。なにより、溶けた燃料の状態も分からず、高線量のために生き残った計器もしだいに壊れています。溶けた燃料を取りださなければ収束できないはずですがその方法はこれからの「研究」です。燃料がいつ壊れて再臨界するか分かりません。今後、大きな問題が無かったとしてもこの原発を廃炉にするには100年は掛るでしょう。

安全だ、とされていた原発にメルトダウンと言う大事故が起きたのです。事故は起きるのです。それは地震であれ、津波であれ、人為的なミスであれ、事故は起きるのです。起きればどのような惨事になるのか、チェルノブイリに続き、フクシマではっきりと知りました。原発は過疎地に犠牲を強いるものです。原発の燃料であるウランは莫大な岩石から極一部が取り出されるもので、鉱山労働者の被ばく、原発に働く労働者の被ばくは事故を起こす以前から問題にされていましたが、この事故で一挙に被ばく基準量が引上げられましたが、原発はこうした犠牲者を伴うものです。さらに、燃やした後の廃棄物は再処理工場も事故続き、核燃料サイクルも事故続きで確立できる見通しもなく、莫大な量が各発電所で保管されています。すでに満杯状態です。これらの廃棄物の処理方法もいまだに決まっていません。しかも数万年以上の管理を必要とするのです。放射性廃棄物と言う毒物を無毒にする技術はいま、ありません。さらにプルトニウムを生産し、核兵器とはコインの裏表の関係にあります。狛江市在住の気象学者、増田善信さんは「双子の悪魔」と呼んでいます。核兵器はもちろんのこと、原発もまた人類と共存することはできません。

原発の再稼働をさせず、日本から原発をゼロにする活動に、市長として声明を出し、脱原発をめざす首長会議の一員として行動する市政を、今後も是非とも継続して欲しいと強く願っています。