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投 稿 台風19号で感じたこと

木暮真次

 台風19号は東日本に水害と土砂崩れで大きな被害をもたらした。私は和泉本町に住んでいる。12日はテレビで「命を守れ」と呼びかけられ、携帯のアラームが何度もなっていて注意していたが、1~2時間風雨が強まったかと思う間もなく治まってきたので、東京は思うほどではなかったな、と一安心していた。翌日、多摩川に行ったところ、根川が氾濫して多摩川住宅一帯の道路が冠水し、床上浸水したところもあったと聞き驚いた。水神前の多摩川ではあと1メートルほどで土手から溢れる状態で有ったことも分かり、危機一髪だったことを知った。

狛江市では12日の午前中から避難する市民が出始め、ピーク時で4000名ほどが避難され、

50~60棟が床上浸水であったとのこと。台風としては非常に広域で河川の氾濫があり、全国的には死者・行方不明者が90名を超え、現在も避難している方は4000名いる。

今回の台風で狛江でも災害が非常に身近なものになったが、それにしても毎年のように集中豪雨や台風で日本は甚大な被害を受けている。この基本的な問題に地球温暖化があることは周知の事実である。海水温上昇に伴い、台風は強大化する。にも関わらず、政府は再生可能エネルギーに転換せず、元凶の一つである石炭火力を推進、いまだに国内建設と輸出を画策している。さらに、河川の氾濫に対する対処がその場しのぎで、抜本的な対策を取らないどころか、何十年も前のダム建設計画に固執している。多くの識者が指摘しているようにダムは洪水対策にならない。堤防対策等の河川改修が指摘されながら本格的な動きは全く見られない。その上、たくさんの避難者が毎年出るのに、その避難所の抜本的な改善が見られず、地方自治体に完全お任せになっていることである。お決まりの体育館の雑魚寝風景は避難を呼びかけられても行く気がしないし、直ぐに帰りたくなる。障がい者や子どものいる家庭の配慮はない。阪神淡路大震災から考えても25年である。四半世紀の間、政府は無策であったといわざるを得ない。

今、政府の求められていることは、憲法を市民生活の中に活かし、不都合があれば市民の権利保護のための施策を如何に実現するかにある。全く問題にもなっていない自衛隊の明記など憲法を改定することではない。