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[矢野ゆたか元市長訴え]市民不在、古い体質の政治にストップをかけ、市民が主役の市政に転換させよう

19日の演説(狛江駅前午前)で現職市長である松原候補は「共産市政でできなかったことは、命にかかわる防災、防犯だった」と、矢野市政(1996~2012年)による安心・安全の取り組みを全否定しました。これに対し矢野元市長は「私はそれを聴いて、現職市長がすぐにわかるようなウソを言うのかと本当に疑問に感じました。でも事実は明白です。」と反論の演説をおこなっています。その要旨を紹介します(24日の演説を受けて若干修正しました)。

市民不在、古い体質の政治にストップをかけ、市民が主役の市政に転換させよう 矢野ゆたか元狛江市長 (演説要旨)

 

 このスピーチではなぜ松原市政ではダメなのかについてお話しします。松原候補は19日の市長選挙第一声で「共産市政は、命にかかわる防災、防犯が出来なかった」と語ったそうです。私はそれを聴いて、現職市長がどうしてすぐにわかるようなウソを言うのかと本当に疑問に感じました。事実は明白です。

 市庁舎の隣に、防災センターがあります。中越地震のとき、友好都市川口町の庁舎が崩壊し、復旧活動に困難を生じた教訓から、財政の厳しかった狛江でも、市民の命を守ろうと私が建設を決断したものです。多摩地域では財政力のある武蔵野・町田に続く3番目で、人口10万人以下の市では初めての設置でした。

 3期目、狛江で犯罪が増加したとき、私は市民に地域のボランティアパトロールを呼びかけました。1,200人以上がパトロールに参加してくださり犯罪は急激に減少し、4期目を迎えたときには、東京で一番犯罪が少ない市(人口当たり)になりました。地域パトロールは交通安全にもつながり、交通人身事故も一番少なく、火災でも死者ゼロを2千日、5年以上継続しました。

 このどこを見て「矢野市政は防災・防犯は出来なかった」と言うのでしょうか。松原市長の言動は、私への中傷というだけでなく、当時、市と連携し日夜奮闘された警察署、消防署、消防団、そしてまちの安心安全に関わった多くの市民の努力を否定するものです。

 加えて、松原市長は「共産市政では出来なかった多摩川堤防のかさ上げをした」と実績を述べ自慢もしています。でも一級河川の多摩川の堤防の整備は国・国土交通省の仕事です。2015年に台風で鬼怒川が決壊したことに対応するため、全国的な堤防改良の一環として多摩川の堤防も対象となり、国費で堤防のかさ上げがおこなわれたものです。狛江は堤防の天端の舗装を普通の舗装から浸透性の舗装に変える予算しかだしていません。こうしたことまで自らの成果というのは、人のふんどしで相撲を取るようなものではありませんか。

 松原市長は前回の選挙公報で「日本一やさしい狛江」を掲げ、「市民参加と協働」を公約のトップに据えました。今回は「日本一」というスローガンも、「参加と協働」という言葉も消えています。それは4年間で公約を破ってきた自覚があるからだと思います。「日本一人にやさしい」を掲げて国保税の大幅値上げはできない、市民の声も聴かず図書館分割移転を強行しながら「市民参加と共同」ということはできない、そのことの反映ではないでしょうか。

 私は松原市長の議会答弁にもおどろきました。市民の声は聞く、でも聞いた結果判断するのは市民から選ばれた市長であり、最終決定をするのは市民代表である議会だから市民参加は損なわれていないというのです。これは端的に言えば、市民は好きなことを言っていいが、最後は市長が決める、そして議会の多数が認めたら文句は言わせないということです。これは「参加と共同」ではなく、その考え方がなかった古い時代のやり方そのものです。狛江の先進的な「参加と共同」がどんどん形骸化させられています。そもそも市民は市長や議員に白紙委任はしていません。だから狛江市では、市民利用施設などでは、市民と行政があらかじめ協議し、そこでまとまったものを市長が議会に諮る。これが真髄であり、この努力を基本条例は求めているのです。松原市長は、そこを勘違いしているから、昔ながらの進め方を市民参加だと言い張り、結局は基本条例を形骸化してしまっているのです。

 狛江の保守政治には、独善、私物化といった市民不在の古い体質がこびりついています。実際、1996年の石井市長のバカラとばく・失踪や、2018年の高橋市長のセクハラ・パワハラを繰り返すなど、全国報道されるような狛江市民にとって本当に恥ずかしい不祥事が繰り返されました。これは市民の声に耳を傾けない、市民の上に自分を置く、何があっても最後は議会の与党の多数で押し切るという古い体質の結果であり、松原市長はわずか4年にしてその泥沼に足を踏み入れてしまったのだと、見ていて実感しています。

 しかし狛江市民は、これまで不祥事が起こるたび、市政を変えるという力を発揮しています。1996年には市長と対極にいた私を市長に押し上げ、市政転換をともに進めてくれました。2018年にはハラスメント問題で、前市長の任期途中での退陣を余儀なくさるなど、市民パワーを発揮してきました。今度もの市長選挙でも、この力で、周東と御一緒に古い体質を一掃し、市民が主役の市政を築こうではありませんか。

 26日の投票日には、「周東三和子」と投票用紙にお書き下さるよう心からお願い申し上げ、私の訴えを終わります。