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堤防整備、水道道路対策の本当の経過(鈴木悦夫市議)

 松原候補(現職市長)は、多摩川の堤防の整備・舗装や水道道路(都道 調布3・4・2号水道道路線=狛江市岩戸南四丁目―東和泉三丁目)の安全対策について、自らの実績として強調するとともに、「共産市政ではできなかった」と言っています(告示第一声)。しかしこれは、矢野市政時代を含めた長年の市民の要望や議論の末に、国や都の事業がこの間に実現・事業が開始されたもので、松原候補の主張は事実を歪めて伝えるものです。ベテランの鈴木悦夫市議(10期目)が事実経過についてまとめました。

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堤防整備、水道道路対策の本当の経過 鈴木悦夫(狛江市議)

 「東京新聞」(6/20付)は、松原候補が第一声で「多摩川の堤防のかさ上げや舗装、交通死亡事故対策は(以前の)共産市政ではできなかった。市民の安全を守るために必要な政策だった」と強調したと報じています。

 ■堤防整備は鬼怒川氾濫をきっかけに国が対応

 しかし多摩川の堤防のかさ上げ工事は2015年9月の台風18号と温帯低気圧による豪雨で、鬼怒川が氾濫し、越流と破堤により茨城県常総市で大規模な浸水被害が出たことがきっかけとなり、国が全国で遅れていた堤防整備をやっとやることになり、狛江市でも実施されたものです。また天端の舗装については、狛江市での長い経過がありますが、最終的には、国が鬼怒川の氾濫を教訓にして、天端を舗装することで、越水から破堤までの時間を伸ばすことができるということで、実施されたものです。予算上も大半が国の予算で、狛江市が負担したのは、舗装工事のうち、浸透性舗装にする部分です。

 天端の舗装については、約30年前の石井市政時代からの長い経過があり、東京都が武蔵野の道構想という多摩川の天端をサイクリング道路にする方向を打ち出し、舗装費用は東京都が出すということで、石井市政時代に、多摩川住宅付近の土手を盛り土して天端の幅を広げ、天端を舗装しようとしたことがあります。しかし盛り土は多摩川の自然の植生を壊すのでやめてほしいという運動が広がり、最後は座り込みをする人が出てきて、一部を舗装したのみで、その後は中止された経過があります。矢野市政時代には、天端の舗装について話し合う会が設定され何度も話し合いを重ね、その会のまとめでは、天端はてん圧砂利舗装ということになりましたが、それは管理が大変になるなどの理由で、実施されませんでした。高橋市長の時に天端の舗装についてのアンケートが行われ、舗装に賛成が多く(今のままでいいという人も約4割いた)、自然環境や景観、安全性に配慮して舗装していく方向が決まりました。その直後に鬼怒川の氾濫があって国が動き出したという経過です。

 したがって、少なくとも多摩川の土手のかさ上げ工事については、狛江市政云々というよりも、もともと国の対応の遅れがあって、鬼怒川の氾濫をきっかけに、ようやく実施されたというのが実際のところです。

 ■水道道路拡幅整備は

 また交通死亡事故の件は水道道路の拡幅整備のことと思いますが、これも長い経過があり、矢野市長ができなかったのを松原市長がやったという単純なものではありません。

 矢野市長は2006年1月に、水道道路の安全性の確保、南部地域の交通ネットワーク、防災対策などの理由から、水道道路の都市計画道路としての事業家を求める要望書を石原慎太郎都知事に提出し、同年4月発表の「多摩地域における都市計画道路の整備方針(第三次事業化計画)」(東京都・28市町)の中で、今後10年間で(2006年度~2015年度)で優先的に整備すべき路線の一つとして位置づけられました。

 そしてその直後、2006年6月から2007年2月にかけて、水道道路で3件の死亡事故が連続して起りました。2007年3月には、共産党が呼びかけ全会派の提案となった「水道道路の歩道の拡幅など交通安全対策の強化を求める意見書」(水道道路の都市計画道路としての整備の促進、自動車の速度規制の徹底など交通安全対策の強化を求める内容)が全会一致で採択され都知事宛に送付されました。

 東京都が市の3-4-16号線(市内循環道路)整備の具体化と絡めてきて、市として3-4-16号線の事業化計画を策定するのに一定の時間がかったということはありますが、長年の住民の要望や死亡事故を受けて、矢野市政や市議会が東京都に早期事業化を要望したことがきっかけになり、いまようやく整備に着手できるようになったものです。 

 住民の声や行政、市議会もふくめた長い間の努力の積み重ねで今があります。単純に松原市長がやったと言うようなものではありません。