寄稿

<記事紹介:藤原辰史「パンデミックを生きる指針−歴史研究のアプローチ」>

周東三和子

 岩波新書ホームページ「B面の岩波新書」に藤原辰史:パンデミックを生きる指針−歴史研究のアプローチ−という記事がありました(42日付)。

 

岩波新書の編集部によれば、同時代に生きる歴史学者としての矜持を貫いて、今我々を襲っている事態の本質に迫り、恥知らずな為政者には鉄槌を下し、脅え立ち竦む私たちには覚醒を促す、魂の訴えです。PDF版が公開されていて自由に印刷・複製可ということなので、一部ご紹介します。ぜひ入手して全文をお読み下さい。

 藤原さんは京都大学准教授農業境史)で、記事は 1 起こりる事を冷に考える. 2 国に希望をせるか. 3 家庭に希望をせるか. 4 スペイン邪と新型コロナイルス. 5 スペイン邪の教. 6 クリオの審判 からなっていますが、5.スペイン風邪の教訓をご紹介します。

 

 スパニッシュインフルエンザの去は在を生きる私たちにして教を提示している

 第一に、感染症の流行は一回では終わらない可能性があること。スパニッシュ・インフルエンザでは「舞い戻り」があり、三回の波があったこと。一回目は四ヶ月で世界を一周したこと。一回目よりも二回目が、致死率が高かったこと。新型コロナウイルスの場合も、感染者の数が少なくなったとしても絶対に油断してはいけないこと。ウイルスは変異をする。弱毒性のウイルスに対して淘汰圧が加われば、毒を強めたウイルスが繁殖する可能性もある。なぜ、一回の波でこのパンデミックが終わると政治家やマスコミが考えるのか私にはわからない。ちょっと現代史を勉強すれば分かる通り、来年の東京五輪が開催できる保証はどこにもない。

 

 第二に、体調が悪いと感じたとき、無理をしたり、無理をさせたりすることが、スパニッシュ・インフルエンザの蔓延をより広げ、より病状を悪化させたこと。何より、軍隊組織に属する兵士たちの衛生状況や、異議申し立てができない状況を考えてみるとわかる。過労死や自殺者さえも生み出す日本の職場の体質は、この点、マイナスにしか働かない。

 

 第三に、医療従事者に対するケアがおろそかになってはならない。スパニッシュ・インフルエンザを生きのびた人たちの多くが、医師や看護師たちの献身的な看病で助けられたと述懐している。目の前の患者の命がかかっている場合、これらの人たちは、多少自分が無理しても助けようとすることが多いことは容易に想像できよう。しかし、いうまでもなく、日本の看護師たちは低く定められた賃金のままで、体を張って最前線でウイルスと戦っていることを忘れてはならない。世界現代史は一度だって看護師などのケアの従事者に借りを返したことはないのである。

 第四に、政府が戦争遂行のために世界への情報提供を制限し、マスコミもそれにしたがっていたこと。これは、スパニッシュ・インフルエンザの爆発的流行を促進した大きな原因である。情報の開示は素早い分析をもたらし、事前に感染要因を包囲することができる。

 

 第五に、スパニッシュ・インフルエンザは、第一次世界大戦の死者数よりも多くの死者を出したにもかかわらず、後年の歴史叙述からも、人びとの記憶からも消えてしまったこと。それゆえに、歴史的な検証が十分になされなかったこと。新型コロナウイルスが収束した後の世界でも同じことにならぬよう、きちんとデータを残し、歴史的に検証できるようにしなければならない。(中略)人類は、農耕と牧畜と定住を始め、都市を建設して以来、ウイルスとは共生していくしかない運命にあるのだから。もしも顕彰されるとすれば、それは医療従事者やケースワーカーの献身的な働きぶりに対してである。

 第六に、政府も民衆も、しばしば感情によって理性が曇らされること。百年前、興味深い事例があった。「合衆国公衆衛生局は、秋のパンデミック第二波の真っ只中、ほかにやるべき大事なことが山ほどあったにもかかわらず、バイエル社のアスピリン錠の検査をさせられていた」。これは、「1918年当時の反ドイツ感情の狂信的なまでの高まり」が、変な噂、つまり、ドイツのバイエル社が製造していたアスピリンにインフルエンザの病原菌が混ぜられて売られているという噂が広まっていたためである(クロスビー『前掲書』259頁)。

 現在も、疑心暗鬼が人びとの心底に沈む差別意識を目覚めさせている。これまで世界が差別ととことん戦ってきたならば、こんなときに「コロナウイルスをばら撒く中国人はお断り」というような発言や欧米でのアジア人差別を減少させることができただろう。(後略)

 以下略


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