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事務局長のジジ日誌

(201212月末〜2013年1月)

事務局長 絹山達也

 都知事選で走り回っていましたので、日誌を書けませんでしたが、再開させてもらいます。豊かな会に直接関係することが中心ですが、“市民派市政復活”に関係すると(勝手に)判断したことはなるべく掲載させてもらいます。大目に見てください。

1225日午前、みんなの広場で会報『豊かな狛江』1月号の製本・仕分け作業を西尾さん・林さんと、チョット?さみしい3人でおこないました。11時頃には終了。配布担当者へのお届けの分担をおこない、青空だが寒風の中、それぞれ自転車で出発しました。

1229日、残念ながら大敗した都知事選をたたかった宇都宮けんじさんを応援する狛江の会の会計報告がまとまりましたので、カンパを寄せてくださった皆さんに郵送しました。 

2013年元日。天候は穏やかな年明けとなりましたが、日本の政治・社会は暗雲立ち込める1年となりそうです。

午前、“むいから民家園元日開園”のボランティアへ。今度で11回目となる元日開園、すっかり狛江のお正月風情として定着してきたと思います。この10年、わたしのお正月も元日開園から始まっています。

 午前9時前に民家園へ。事務局スタッフとボランティアで開園準備。9時半の開園時間前にもう家族ずれの姿がありました。

羽根つき、独楽まわし、坊主めくりなど“昔の遊び”を文字どおり老若男女の市民の皆さんが楽しんでいました。12時からは、小足立ばやし保存会の皆さんによるお囃子と獅子舞が2回にわたって上演され、お正月の雰囲気を盛り上げてくれました。珍しく、お獅子と一緒に白狐も登場して来園者を喜ばせていました。

 元日開園のボランティアは、「我が家のお正月」もあるので、午前と午後の2交替制をとっています。午後1時には午後班の皆さんと交替して自宅へ。やっとお雑煮とおせちなどにありつきました。

◎3日、《こまえ派遣村》の定例交流会。午後6時から、新年会を兼ねて《みんなの広場》でおこないました。

前の日誌にも書きましたが、《こまえ派遣村》は、2年半前に「開村」し、これまでに、多摩川河川敷での生活を余儀なくされていた方を中心に、9人の生活保護申請に同伴し、アパート入居を支援しました。市役所側は「アパート生活ができるかどうか観察する間、無料低額宿泊施設に入ってほしい」というのが当初の対応でした。「無料低額宿泊施設」とは、それまでわたしも知らなかったのですが、そのほとんどが「貧困ビジネス」と言われる、いわば生活保護費ピンはねのしくみです。

アパート入居を果たした9人の皆さん、高齢の人と心臓疾患のある人を除いて就労を実現しました。うちお一人はすでに生活保護から「自立」しています。残念ながらお一人は、わたし達や担当ケースワーカーとのコミュニケーションもうまくとれずに行方知れずとなり、生活保護は廃止となりました。

この8人の「当事者」とわたしを含めて4人の「支援者」で《こまえ派遣村》を構成しており、毎月1回の定例交流会をひらいています。

 Aさんへの市役所側の度を越えた「就労指導」問題、市民から寄付された物品を活用するために「みんなの百円市」を実施することなどを話し合いましたが、本紙にはひとつだけ報告させてもらいます。「市長への手紙」の件です。

 

 最近、市役所ホームページに掲載された「市長への手紙」回答(平成2411月分)に、こんなのがありました。全文を引用します。

No.7〔回答日〕11月20日

〔内 容〕

 多摩川土手の五本松に長年居住しておられるホームレスの方々を何とか説得して退去させ、自立させてください。
 私は多摩川土手を散歩するのが大変好きで、油絵にも描きましたし、これからも何枚も美しい多摩川を描きたく思っています。
 どうぞ「自然な多摩川」を回復させてください。

〔回 答〕

 現在、狛江市区域の多摩川河川敷には約10人のホームレスの方が住んでおり、その居住範囲が多摩水道橋から五本松の間に集中しています。狛江市区域の河川及び河川敷の管理は、国土交通省の出先機関である京浜河川事務所多摩出張所で行っており、365日毎日多摩川の土手を河川事務所の係員が巡回しています。
 ホームレス対策としては、京浜河川事務所、調布警察署、狛江市担当課の生活支援課との合同で、年に数回調査を実施し、その中でホームレスの方の立ち退きと生活保護への申請を促しています。河川敷からの立ち退きに関しては、強制的な立ち退きは法律面や人権的な配慮の面からも難しく、ホームレスの方への説得による立ち退き勧告を行っています。また、立ち退き勧告に伴い、生活保護への申請による自立を色々と諭していますが、ほとんどのホームレスの方が申請してこないのが実状です。生活保護の申請につきましては、当事者本人による申請が原則となっており、強制的に生活保護にすることはできず、本人の意思による申請があって可能となるものです。中には人間関係や社会生活での諸々の束縛を嫌がり、きっぱりと拒否する方もいます。
 このように最後のセーフティネットである生活保護を拒否する方がいることから、生活保護による居場所の確保と最低限の生活の保障が、必ずしも問題の解決につながっていないのが現状です。しかし、いずれにしましても現状を少しでも良くしていくためには、市、京浜河川事務所、調布警察署と協力しながら、1人でもホームレスの方が少なくなるよう、生活保護への申請を訴えるなど、地道に自立へと促していくしかないと考えておりますので、今後も努力してまいります。

これを読んだ「当事者」の方の印象は、とても「生活保護への申請を促しています」とか「申請による自立を色々と諭しています」とは思えないというものでした。わたしも、警察官と一緒になって立ち退き勧告にやって来た生活支援課職員がどんな「諭し」をしているのか確かめてみたいと思いました。

◎6日の日曜日、わたしのお店「みんなの広場で」のお客さんは少なく、おかげで()積読してあった本の1冊・『市民の力で貧困を絶つ』を読み終えることができました。

 《生活保護問題対策全国会議》が編著したもので、5年前の発行です。中心のひとつは、自治体窓口での違法・不当な「水際作戦」(申請拒絶)や「硫黄島作戦」(受給者にいろいろ難癖をつけて「辞退」や転出を迫る)の実態の告発です。一方で、多くの職員は良心的なのであり、連帯して実態改善を進めようとの立場で書いており、わたしの率直な感覚とは違和感がありました。わたしも市役所、そして職員との間が敵対関係だとは思いませんが、「連帯」のためには市役所、そして職員の大きな意識改革が必要だと感じています。

 もうひとつが、日本では生活保護問題が「私たちの制度」とはとらえられず、「あの人たちの制度」となっている現状を変えるために、「労働運動と社会保障運動・消費者運動の協同」をつくりだそう、との視点です。保護基準引き下げの策動が現実化している中でも、当事者がなかなか声をあげられないという現状を変えるにはどうするか?わたしも悩んできましたので、運動方向は「そうだな」と思いました。しかし、この狛江から「労働運動と社会保障運動・消費者運動の協同」をどうつくれるのか?また悩んでしまいます。

 これがヒントというか、考える入り口かな、と思ったのが、本書に載っていた暉峻淑子(てるおか・いつこ)さん(埼玉大学名誉教授)の以下の発言です。抜粋して掲載します。ぜひ参考にしてください。

暉峻淑子さんの発言より

◇一番、私が心配しているのは、やはり子どものことです。子どもたちは今、競争、競争といってお尻をたたかれているから、人間関係をつくるのが本当に下手だと言われています。いじめや引きこもりや孤立した子が多い。だけど社会保障というのは実は、お互いにお互いの立場を思いやり合うというか、「皆同じ人間なんだね、困っている時はお互いに助け合おうよ」とそこが基本になっている。子どもが競争、競争ということばかりやっていると、考え方の神経の回路の中に、私たちは同じ人間なんだね、というものがなくなっちゃっているのではないかと思うのです。

◇この前NHKのテレビを見ていたら、(中略)ある若者が、(中略)雇い主から、いつでもお前なんか誰とでも取り替えられるんだぞと言われている。自分はかけがえのない人間としては、全然扱われていない、と言うのです。自分は戦争があったほうがいいと。日本人は革命なんかどうせ起こせない。みんなそういう元気もないから。では戦争でぶっ壊したらいいじゃないか。戦争で戦死したら、その時初めて自分はお国のために戦死したという形で、人に認めてもらえる。自分は認められたいのだ、ということを言うのです。(中略)自分は社会保障は何もない。だけど戦争に出て行ったら、社会保障がつくかもしれない、そう言っているのです。私はその話を聞いた時に、ほんと、切なかったの。本当にそういう気持になるんだろうと思いましたよ。子どもの時から救いのない、認められることのないそんな中にいたら。

◇一番大事なのは、人間は皆人権を持っている、人間としては同じなのです。個性はあるし職業も違うけれど、人権を持っている人間としては同じなのです。そういう意識を私たちが持つこと。そのための教育が行われることが大事だと思います。

◇自分の子は殺されるのは嫌、だけどイラクの子どもは殺されてもいいという、つまりそれは差別なのです。差別意識があるから戦争というのは始められるのです。本当に人権という考えがあったら、戦争で事を解決するなんていう解決法は出てこないはず。だから私は、この社会保障の問題も労働者の非正規の問題も、格差問題は結局はそこに行き着くと思うのです。

みんな個々バラバラで競争し合えば、お互いに孤立し合って、国民としての連帯心がなくなる。だから安部さんはしきりに愛国心を強要して精神主義でまとめようとしている。さっきの、戦争に行けば自分は認められるという若者も、そういう意味では愛国心に同調しているのかもしれないけれど、私は戦中派ですから、戦争というのは勝つためにやるんですよね。負けるためにやる人はいない。勝つためという至上命令が上にくると、言論の自由もなくなれば、社会保障もなくなれば、何もかもなくなるんです。勝つためには我慢しろ、と言われたら、何も要求できないのです。だから私は憲法9条の問題というのは、そこにかかっていると思います。

◇私たちはどっちの側にいるのか。人権を守り育てて、みんなの幸福につながって生きていくのか。あるいは自分さえよければいいのか。

◇それ(つくられた貧困)に対抗するのは、労働組合という具体的なものが必要だし、私たちは人権を持つ人間として、本当にみんな助け合っていこうよ。そのために税金を払っているのだから、生活保護だの失業保険だの、そういうことに優先して税金を使って欲しいという、連帯の気持ちを私たちが心から持つことが大事だと思います。

要は自らの生き方、そういう意味では「覚悟」が問われているということでしょう、月並みな結論()ですが。

◎1月8日()午後6時30分から、みんなの広場で《豊かな会》の新年会を開催しました。

 11人がそれぞれ「1本あるいは1品」を持参して参加し、けっこう豊かな宴会となりました。話題は当然に「市民派市政の復活」に集中しましたが、宴会ですので何かを決めたということはありません。何よりもわたし自身、おいしいお酒を満足するまでいただいて、はっきり覚えていない有様です。

 10時半ごろまで、なごやかな新年会が続きました。

◎9日、今年初めて、《こまえ九条の会》の「九の日行動」の日。この日は平日なので午後5時30分〜6時30分、狛江駅前での署名活動とニュースの配布をおこないました。

しっかりと股引を2枚はき参加しましたが、寒さも少し緩み、風もなく、助かりました。確か7人(固定化している感じ)の参加でした。

この日、配布したニュースのメインは、昨年12月1日に西河原公民館で開催した秋の学習会を報告でしたが、冒頭に次のように書きました。

明けまして、おめでとうございます。

昨年暮れに総選挙が実施され、期待を裏切った民主党が前回より2,000万票も落とすという惨敗となりました。そのあおりで、自民党が大きく議席を伸ばしましたが、比例区の得票数は政権転落した3年前より219万票減、対有権者得票率は16.0%(前回18.1)と決して自民党が支持された訳ではありません。しかし、小選挙区制のマジックで4割の得票でも8割の議席が獲得できるなど、自公両党を合わせると議席では衆議院の2/3を越えることになりました。

安倍政権は憲法解釈でまず集団的自衛権の容認、そして憲法96条の改定で発議の手続きを軽くさせ、憲法9条の改定で、米軍と一緒に「戦争する国」とするために執念を燃やしています。平和憲法を維持発展させるのか、それとも改憲を許すのか、今年の参議院選挙は正念場になります。

市民の皆様、今年は憲法を正面に据えて、考え、行動していきましょう。

 2013年は《こまえ九条の会》にとっても正念場の年となりそうです。「九の日行動」の継続を基盤にしながらも、さらに市民の心の中に入っていく“もう一歩”が求められていると感じます。本紙読者の皆さんのお知恵をぜひお寄せください。

《こまえ九条の会》の連絡先は、下記のとおりです。

■所在地 東和泉2−20−12  えのき2番館1F

 みんなの広場(担当=絹山達也)

電話&Fax 03−3480−6794

■絹山のメール kinutatsu1946@jcom.home.ne.jp

13日の日曜日夕、公民館利用者有志が呼びかけた相談会がありました。

1130日、高橋市政は「公共施設整備計画」を決定した。三中移転中止、

新図書館建設放棄→市民センター耐震改修(2015年度)に伴い、公民館・図書館の「部屋の配置等を検討」、とした。要するに公民館スペースの縮小であることは、12月市議会での田中議員の質問に対する市側答弁で明らかである。

 高橋市政が進めている、第4次行財政改革大綱・推進計画(平成22年度か

26年度までの5年間計画」の見直しの中で、中央公民館への指定管理者制

度導入が検討されている模様。

こうした状況を受け、1月13日、公民館利用者有志が呼びかけた相談会が

開かれました。14人の参加。情勢を確認し合ったうえで、市民センターの耐震改修ではなく、建て替えによる新図書館整備、公民館機能の充実に向けて市民運動をつくりだしていくこと、指定管理者制度については「先例」を調査し、その問題点(資料参照、欠席者には添付)を明らかにし、市民に訴えていくことを確認しました。

 次回会議は、127()、新たな市民の運動の名称などを含めて相談す

ることになりました。

15日は第3火曜日、拡大世話人会の定例日。今年第1回目の会議には11

が出席しました。詳細は別記事をご覧ください。

17()午後6時半から、みんなの広場を使ってもらって、《こまえ九条の会》と《平和憲法を広める狛江連絡会》の合同世話人会が新年会を兼ねて開催されました。

 15人の皆さんが参加し、改憲・壊憲勢力が衆院の3分の2を超えるという、年末選挙の惨憺たる結果を受け、狛江の地に根ざした運動をどうつくりだすか?など、飲みながらでしたが、ご自分の思い・提起を熱く語り合いました。

18()午後7時からエコルマホール6階で、東京土建一般労働組合・狛江支部の旗開きが開催されました。《豊かな会》からは矢野共同代表が参加しました。わたしも出席する予定だったのですが、急用が入ってしまい、あわてて同支部と矢野さんに欠席連絡の電話を入れた次第です。

19日、今年2回目の《こまえ九条の会》の「九の日行動」。この日は土曜日でしたので午後3時〜4時でした。集まりは悪く、たまたま改札を出てきたTさんにも加わってもらい、5人でマイク宣伝とニュースの配布をおこないました。手違いで署名用具がなかったのですが、参加者がリレー式にマイクでアピールをおこないました。反応は悪くなかったと思います。

 なお、駅前の歩道の除雪が十分でないことが気になりました。