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事務局長のジジ日誌

(2013年3月末〜4月)

事務局長 絹山達也

 

 

 《豊かな会》に直接関係することが中心ですが、“市民派市政復活”に関係すると(勝手に)判断したことはなるべく掲載させてもらいます。大目に見てください。

 

 

◎3月26()午前、みんなの広場で会報『豊かな狛江』4月号の製本・仕分け作業をおこないました。この日は、総勢5人となりましたので、11時頃には終了することができました。

配布担当者にお届けするため分担をおこない、桜咲く中をそれぞれ自転車で出発しました。

 

28()昼前からみんなの広場に、狛江の多摩川左岸道路に反対する運動関係者9人が集まりました。都道114号線の開通に伴い、堤防小段・天端の自動車通行が禁止になったため、「解散会」の趣旨でもたれた会議でした。

 多摩川自然保護運動で懐かしい横山十四男さんや、世田谷の森田さんなども

おいでになり、懇親を深めました。

 結局、いろいろ問題が残っていそうなので、解散はしばらく様子を見てからにしようということになりました。

 

◎4月4日()夕、《こまえ派遣村》が7日の日曜日に予定していた「こまえ楽市」(結局は中止)でのバザー用品の値札付け作業をみんなの広場で。その後、月一の定例交流会をおこないました。

 

◎5日()9時、民家園へ。翌日予定の「桜まつり」の準備作業のためです。しかし、天気予報は土・日とも「爆弾低気圧」などと言っていました。実行委員長の知見さん中心に相談し、「中止」を決定しました。

 

◎9日()夕、狛江駅前で《こまえ九条の会》の「九の日行動」へ。確か8人   の参加で、署名も一定集まり、バッチも3個売れ、オロナミンCのパックを差し入れてくれた人もいました。とにかく継続は力!

 

◎その後、7時からみんなの広場で「市政まなび塾」の2回目を開催。テーマは水道道路問題。12人の参加で、みっちり勉強できました。詳しい資料を用意してくれた講師役のSさん、Yさんに感謝です。

 その概要報告は前掲のとおりです。ぜひお読みください。

10()午前、《平和憲法を広める狛江連絡会》と《こまえ九条の会》の合同で、ニュースレターなどの作成・発送作業を中央公民館で。約10人、おしゃべりをしながら、12時半頃までに作業終了。自分の配布分担(東和泉)、郵送分のうち約90通をかかえて帰りました。

 

12()午後、国交省・京浜河川事務所から河川工費の説明を聞く集まりが中央公民館でありました。多摩川に関係する参加市民は8人。対して京浜河川事務所職員は10人もいました。

 工事の内容は、狛江高校付近の護岸工事と河川敷緊急輸送道路工事を今年度からやりたいというものでした。河川敷の姿を大きく変える内容であり、しかも参加者は決して狛江市民を代表しているわけではありませんので、当然「いい、悪い」を言う立場にはありません。

 聞いただけという形でした。京浜河川事務所は、計画をさらにつめてからもう一度説明したい、旨を言っていました。

 

12()夜、狛江社会保障推進協議会(社保協)設立に向けた会議が東京土建・狛江支部会館であり、わたしは『豊かな狛江』の暫定!担当者として参加しました。

 

16日(火)午後7時からは、《豊かな会》の定例世話人会この日の参加は12名でした。

 

19()夕、狛江駅前で《こまえ九条の会》の「九の日行動」へ。現職都議の宣伝とぶつかり、向こうのほうが早く来ていたので、南口で。確か8人参加でした。反応は悪くなかったと思います。とにかく継続は力!

 

20()、狛江市音楽連盟会長の奥村喜代子さんのご逝去を知らせるメールが何人かの方から届き、突然のことにだいぶうろたえました。

皆さんから情報を合わせると、奥村さんは1916時頃、ティップネスでひと泳ぎしたあと、プールで体調がおかしくなり、救急車で杏林病院へ運ばれましたが、大動脈解離ということで、即死状態だったろうということでした。

 心よりご冥福をお祈りいたします。