2016.7.27
小さな声を聞く狛江
狛江市の市政を市民の手に取り戻そうと、2016年6月の狛江市長選挙に向けて立ちあがったのが市民団体「小さな声を聞く狛江」でした。細々とした源流が川に発展するような運動の流れを総括し、今後の動きを提案します。
1.会の設立
平井里美さんが立候補を表明したのは4月19日ころです。投票日のわずか2か月前でした。平井さんは「市民センターを考える市民の会」の代表でしたが、一般には知られていません。一方の高橋市長は4年の任期を終えるところです。選挙でもっとも強い立場にある2期目の現職を相手に無謀とも思われる立候補でした。それでも平井さんは「勝つ」ことを掲げました。
名前を知ってもらうためには一刻も早く活動を始めなければなりません。公選法により告示前に政治活動をするには政治団体が必要です。平井さんの当選を目指す仲間が集まりました。
「小さな声を聞く狛江」を結成したのは翌週の27日です。無視されてきた市民の声を市政に活かしたいという平井さんの思いを名にこめました。平井さんの市民運動仲間の青木香奈、小島喜孝と、平井さんの合唱仲間の大熊啓、大熊の紹介で伊藤千尋の4人が共同代表に、会計責任者には「市民センターを考える市民の会」の林健彦、会計責任者の職務代行者に「こまえ年金者の会」の高橋簾が決まりました。
会の目的を「すべての市民の人権が守られ民主主義、平和憲法が市政に息づく、ひらかれた楽しい狛江を築くため必要な政治行動を行う」と定めるなど、11条から成る会則もこの日に決まりました。
翌日に記者会見して平井さんが正式に立候補を表明するとともに、政治団体、選挙のための確認団体として都選管に登録しました。
2.初期の動き
選挙で訴えを広げるためには市内全域へのビラまきなど大掛かりな動きが必要です。経験を活かして知識を教え実働部隊となってくれたのが、かつて矢野市政を支えた「豊かな狛江をつくる市民の会」です。
5月4日に最初の選挙対策会議が開かれました。小島が選挙対策本部長に、「共生のまち−狛江をめざす会」の絹山達也代表が事務局長に選ばれました。組織、政策、宣伝計画、宣伝物作成そして平井さんを支える秘書の各チームが作られました。
最初の大きな宣伝は18日の市民集会「小さな声の大合唱」です。エコルマ・ホールには予想を超える550人が集まりました。平井さんの友人たちが次々に登壇してリレートークし、大熊が作詞作曲した会のテーマソング「小さな声」を歌いました。
ここから運動が広がり、「平井さんの話を聞いて希望が見えた」という女性は自ら街頭スピーチに立ち、ボランティアの「平井応援し隊」が生まれました。地方自治を知るため池上洋通氏を招いて勉強会もしました。
選挙事務所が開かれたのは5月27日です。車庫を改造した狭い事務所に入り切れない人が集まりました。壁には推薦した共産、社民、緑の党、新社会党の檄文はもちろん、市民が願いを書いた小さな紙がたくさん貼られました。
これを機に障がい者向けの会や狛江駅前での宣伝が続き、6月8日には決起集会が東京土建狛江支部で開かれました。ネット上にホームページも開設されました。
3.選挙
6月12日の告示の第一声は狛江駅前で行いました。選挙カーと宣伝カーが市内をくまなく回り、早朝7時半からと夜9時からの宣伝は市内3つの駅で連日行いました。推薦政党や団体は人を繰り出して全面的に応援してくれました。
17日には「小さな声の大合唱」の第2弾として狛江駅前でリレートークをしました。18日の最終宣伝には平井さんの娘の葉子さんら若者も声を上げました。事務所に寄せられた『小さな声』は120通に達しました。
大きな政策としては@自由にモノが言えるA強権徴税ストップB市民生活を守る、の3つを掲げました。
投開票の19日、選挙事務所には多くの人が集まりました。開票の結果は12856票。高橋候補の17433票には及びませんでした。でも「ダブルスコアになる」と言われた当初からすれば、大きく追いあげました。誇って良い数字です。推薦政党の市議の合計票で見ると平井さんは5000票以上も獲得し、高橋候補は4000票を失っています。もしかしたら勝てたかもしれないという声が出ました。残念でしたが、次は勝てるという明るい表情が広がりました。
4.総括
ここまで票を伸ばせたのは、第一に候補者のすばらしさです。自立し、行動的で、品格があり、かつ虐げられてきた市民の立場に立つ、実に市長にふさわしい候補者でした。
第二に私たちが「市民がつくる選挙」を実践したことです。集会もポスターも市民の目線で、過去の選挙に見られないユニークな運動を展開しました。短期間に手作りの凝ったチラシを9種類出して平井さんをアピールしました。
第三に、応援してくださった人々のすばらしさです。選挙運動など初めてという人々が街頭でマイクを握りました。選挙経験がある人々はポスター貼りやチラシの全戸配布をしたし、「でんわ勝手連」のみなさんは電話をかけまくりました。市民団体や労働組合さらに平井さんの仲間など、精いっぱい協力してくださいました。ここに名前を掲げて感謝の意を表明させていただきます。
(中略)
反省も挙げなければなりません。「小さな声を聞く狛江」は急ごしらえで、選挙の経験がほとんどありませんでした。このため公選法はもちろん選挙をどう展開するのかについてまったく知識がないまま出発しました。それが選対本部まで取り仕切るはめになり、選挙の戦略も戦術も主導するには至りませんでした。選挙事務所に活動日程表さえ掲示できず、選挙運動に参加したいという人を適正に配置することも困難でした。主体的に選挙を乗り切り勝つためには、指導部として機能できる力量を持つことが必要だと痛感します。
選挙にはカネがかかるというのが常識ですが、今回は収入、支出の努力で赤字にはなりませんでした。支援要請に応えてくれた全国の学者文化人や政党などから寄付金が集まりました。中でもありがたかったのは(中略)大口カンパです。本来は資金集めから出発しなくてはならないところを通過できました。
一方で経費を切り詰める努力もしました。ポスターのデザインは会員が無償で作成したし、印刷が安く済み、ホームページも格安で作成していただき、選挙カーの運転手(政連カー)やアナウンサーはボランティアを募りました。しかし、選挙をもっと大掛かりに展開しようとするなら、資金集めを早くから考える必要があるでしょう。
何よりも大きな問題は、目の前の選挙を前に会があわただしく発足したため、そもそもだれが会員なのかさえ正確には把握できず、また会員を増やすことも不十分なままに終わったことでした。
このように、平井さんを支援し市長に押し出すことを目標とした「小さな声を聞く狛江」は厳しい条件の中で、不十分ではあっても、やるべきことをやれるだけやりました。それぞれが自分の仕事や生活を抱える中、選挙という未知の分野に乗り出し、その時点で各自ができることを自分で考え発案して実行し、さらに市外の人々をも巻き込む運動を創りあげました。その結果、選挙に敗れたとはいえ現職陣営を追い詰め、現職が思いのままに市民を管理しがたい空気を狛江に作りだしました。私たちはそれを誇っていいと自負します。
5.今後に向けて
(中略)市政の変革を迫る政治団体として「小さな声を聞く狛江」を再出発させることを提案します。平井さんに発し市民を巻き込んだ「小さな声を聞く狛江」の源流が「小さな思いをかなえる狛江」の大河となって愛する街を変える原動力にならんことを切望します。
「小さな声を聞く狛江」共同代表
青木香奈 伊藤千尋 大熊 啓 小島喜孝
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