東野川3丁目に住んでいる金子千尋といいます。いま、田辺良彦の連れ合いとの紹介がありましたが、一市民としての想いを述べたいと思います。

 私は矢野さんが市長になった翌々年に、多摩川をはさんだ対岸の川崎市多摩区から引っ越してきました。まずびっくりしたのは「市長と語る会」と言うのがあって、市長があちこちに出向いて、市民とひざを突き合わせて語り合うというのが定期的に行われているということでした。川崎のような大きな都市ではお金は沢山ありますが、私たちの声が市政に直接届くなんていう感覚は全くありませんでしたし、市長の顔さえ知らないような状態でしたので、小さなまちには小さなまちの良さがあるのかな、こういうことをやっているのかとまずびっくりしました。

 市長と語る会に出たときに、その頃、古民家を移築・改修して、むいから民家園をつくることが話題になっていました。私は川を渡れば生田緑地に立派な古民家園があるし、お金もない狛江市がたかが古民家一軒をつくることはないと、今から考えると、不明を恥じるのですが、そういう意見を市長に言ったことがあります。それは間違いでした。たかが古民家一軒ではなく、今そこが市民の憩いの場になり、市民活動が本当に活発に行われています。私も子どもを連れて遊びに行くと、何もない時でもオタマジャクシを探したり、日陰の気持ちいい座敷に上がらせてもらったり、それだけでも気持ちがなごみますし、お花見・お月見などの催しなど、市民の方々が多彩な活動の拠点にしていて、ああ、矢野さんはこういうことをイメージしていたのかと、今から思うと、むいから民家園を建設して良かったなと、本当に思います。

 その、むいから民家園のイベントに行くと、必ずと言ってよいほど、ニコニコして立っているおじさんがいて、それが今回の市議補選の候補者である絹ジイ、こと絹山達也さんでした。「市民」という言葉に顔を付けたらこういう人になるんじゃないかと思いますが、いろんな市民活動に顔を出して、幅広い人とつながってみんなで市民の活動を創り上げていくという方。今度、田辺の後の市議補選に出て下さることになって、こんなに力強い方は居ないと思って、是非とも絹山達也さんに市議になってほしいと思っています。

 狛江の本当の良さを分かったのは、仕事を一度辞めて子育てを始めてからです。在宅で子育てをしていると、友達もつくりたいし、親子でつながりたいし、子どもにもいろんな体験をさせたい。それが、地域でいろんなことができるのが狛江です。私の子どもは、いま7歳、小学校2年生で、学童でお世話になっていて、毎日子どもをどこに連れて行くかということに悩んではいないのですが、3歳になって保育園に上がる前の在宅で子育てをしていた期間と言うのは、狛江の広報(広報こまえ)が頼りでした。これは6月1日の号ですが、開いてみると、「こまえ子育て応援カード」をご利用ください、子育て応援事業協賛店リスト、こんなお店まで子育て協賛事業をしてくれるのか、ずら―と並んで、その下に児童館や児童センターなどの取組み、今頑張っているプレーパークをつくろうとの活動を市としても後押ししてくれる、遠くから転園してきた親子に交流しましょうとの呼び掛け、農業ウォッチングや絵手紙教室、水辺の学校と古民家園のボランティア講座、本当にまち中で、子育てを応援してくれているということが伝わってくる広報です。私はいつも広報をチェックして、何日にここに子どもを連れて行けば楽しそうだな、などと「わっこ」とともに大変に頼りにしてきました。このように、市民活動が大変充実している、きめ細かいサービスがある。田辺良彦が市議時代に保育園の園庭開放、地域の子どもも保育園に遊びに行けるようにするとか、学童の午前開放といって、学童保育所を使って小さな子どもたちが雨の日でも遊べるように、友達をつくれるようにするとか、決してお金は沢山無い市ですが、前の市長が残した莫大な借金を返しながら、市民の知恵と職員の方々の協力で、本当にきめ細かいサービスがあちこちで始まりました。

 16年前の矢野さん以前の広報はどうだったのかと思い、図書館に見せてもらいに行ったのですが、正直言って、予防接種とか行政が知らせる義務のあるお知らせは載っていますが、今のように溢れんばかりの市民活動の応援、子育て情報と言うのが広報に載っているという感じでは無くて、これは当時、今のように子育て世代の市民が楽しみにしてチェックするような広報ではなかったんじゃないかと感じました。こうした広報一つとっても、矢野さんのリードで、市民と市役所が手を携えて創ってきた16年間だったんだ、これは当たり前の広報ではないんだと思います。これほど広報を若い人が隅々まで読んでいるまちと言うのは、多くないと思います。  

 1996年、狛江市民にとっては大変恥ずかしい想いをさせられた年です。前の市長さんがバカラ賭博に狂って莫大な借金を残したとかで、姿を消してしまって、毎日毎日、新聞や週刊誌に取上げられて、狛江に住んでいることが恥ずかしい、悲しい想いをさせられました。この、16年前の7月1日付け広報には前市長が一身上の都合で辞任いたしました、と小さく出ています。1996年は恥ずかしい年でもありましたが、市民派市政誕生の記念すべき年でもありました。次の7月15日の広報には矢野市長の初登庁の時の写真が載り、市長から市民への挨拶として、このような記事が載っていました。「マスコミは共産党市長の誕生だということばかりを強調するけれど、自分は7万4千人市民の全ての利益を守る。市民が主人公、これが基本だ、そのために頑張る。ご一緒に、ふるさとと誇れるまち、狛江をつくってまいりましょう。」と呼びかけていました。本当にそのとおりの16年間だったと思います。

 私たちは、いま、狛江に住んでいることが嬉しくて、狛江が大好きで、もっとこうあって欲しいなと思うことはあるけれど、みんな狛江は大好きと言います。子育て中の仲間にあっても、いま賃貸に住んでいるけれど、ぜひ狛江の中で家を買いたい。だって、狛江は緑が溢れているし、安全だし、小さいから自分たちの声が届く感じがする。そう言って、狛江が大好きと言う人が多いです。いま私たちが、狛江が大好きと誇れるようになったのは、16年間の矢野市長と市民が一歩一歩つくりだしてきた誇りです。ですから、相手候補の方が「失われた16年」というのは大変に評判が悪いですね。矢野さんに前回投票したかどうかに関わらず、「失われた16年ってどういうこと? 私たち、ここで暮らしていて、狛江が大好きなんだけど!」そう皆さん、言います。

 16年間、市民が一緒に創り上げてきたこの16年間に、なにも市民から学ばなかった人たちが、狛江の外から、狛江のことを何も知らない人を担ぎ出してくる、このこと自体、とても残念です。そして、その中身も、16年前、医療費が3歳未満児童までようやく助成がもらえるという状態だったのが、いま、中学校卒業までとなってきました。一歩一歩、先輩のお母さん方と矢野市長が築いてきた。皆さんが努力してここまで築いてきた。まだ財政規模が大きな23区とは格差がありますので、その格差の解消のために他の三多摩各市に呼び掛けて、努力してきたのが矢野市長です。これに対して、狛江の医療費助成は「身の丈に合わない」からと削減していくと宣言したのが相手候補の方です。所得制限をなくしていくという方向に進んでほしいのであって、都とのパイプを生かすと言っていますが、パイプを生かすならそういうことをやって欲しいと思いますが、まるでその気の無い方です。こういう方々に市政を譲り渡すことは、絶対にしてはいけないと思います。

 矢野さんと市民が築いてきた16年の市民派市政を、私たち新しい世代も引き継いで、より一層発展させていく、是非これを皆さんと一緒にやっていこうではありませんか。
市長には田辺良彦、そして絹ジイこと絹山達也さんを市議に、是非、押し上げて下さい。よろしくお願いします。




狛江が大好き!子育てをして矢野市政を実感

2012/6/10 東野川 金子千尋